クルミの歴史
クルミは古代ペルシャが原産地とされ、紀元前7000年前の昔から人類が食用にしてきた最古の木の実です。
その後ギリシャやローマに伝わり古代ローマではJovis Glans、nut of Jupiter、nut of Gods (ユーピーテルの実)と呼ばれており、
これが今日クルミの学名のJuglansになっています。
Jovis Jupiterは古代ローマで最高神であり、クルミがいかに重要な食物であったかが分かります。
いっぽう4世紀頃には中国に渡り、胡(西方)から渡来したいという意味で『胡桃』と呼ばれるようになりました。
その後クルミは朝鮮半島に伝わりました。江戸時代中期にテウチクルミが唐胡桃として日本に」伝来しました。
明治時代初期にはアメリカ貿易商からペルシャクルミの種実を譲り受け播いたことに始まります。
1番目の農園は明治時代末期、志賀高原の裾野に3.000坪の土地に約100本植えたのが最初です。
現在も当時のくるみの木が数本現存し毎年大粒の実がなります。
苗は当時の東部町より導入し、品種は清香を植えたとのことです。
其の後2番目の農場は大正時代に3000坪、昭和の時代に500坪の土地2か所にくるみを植えました。
戦後信濃くるみは駐留軍の需要に刺激され、一時は輸出したようですが、
昭和34年の伊勢湾台風で大きなダメージ受けとその後害虫の被害で生産量が年々減少致しました。